戸隠神社「柱松神事」 [お散歩 / 旅いろいろ]
もうすこし長野の話です。
5月10日、戸隠神社の「柱松神事」を見てきました。
係の人の説明によると、「柱松神事」の歴史はすごく古いそうですが、明治になって断絶してしまったのを2003年に復活させたそうです。奥院、中院、宝光院の柱松に火をつけ、五穀豊穣や商売繁盛、天下泰平をお祈りします。
この日は午前中に再び水芭蕉を見に出かけ、昼頃に神事を見るため戸隠中社に戻りました。
12:30からと聞いていましたが、まずは詩吟や踊りの奉納があり、13:20過ぎから神事が始まりました。
中院の柱松の上で、たなびく「天下泰平」。
あまりの強風で、「五穀豊穣」の旗は飛んでいってしまいましたが、無事に拾われていました。
鳥居前の広場で待つこと、1時間くらい。
社殿での祈願を終えた人たちが、行列になって広場にやってきました。
般若心経の奉唱や注連縄切りが行われたあと、白い衣に赤いたすきをかけた「松山伏」が神社への階段をかけあがります。(親切に解説付きです。)
3人の松山伏が霊山で修行をしている間、先輩たちが舞を披露します。
これは禊の舞だったかな。普段はやらないそうですが、この日はお釜とお湯が用意され、舞いながらぱしゃっと湯切りをします。
修行から戻ってきた松山伏が、火打石を使って柱松に火をつけます。
どこが早いか競い合うのだそうです。
3人が腰にうちわをさしていた訳が、ようやくわかりました。
火がつきました。
あっという間に炎があがりました。
風の強い日だったので、炎は大きく揺れ、火の粉や灰が飛んできました。
だいだいおさまったところで、修験者が般若心経を唱えながら、柱松のまわりをまわります。
お願い事を書いた祈願串のお焚き上げが行われました。
神事はまだ続いていましたが、ちょうどバスがきたので、途中で切り上げて長野駅に向かうことにしました。あとでお神酒をくばるって言ってたけど、いただかないで帰ってきてしまいました。
5月10日、戸隠神社の「柱松神事」を見てきました。
係の人の説明によると、「柱松神事」の歴史はすごく古いそうですが、明治になって断絶してしまったのを2003年に復活させたそうです。奥院、中院、宝光院の柱松に火をつけ、五穀豊穣や商売繁盛、天下泰平をお祈りします。
この日は午前中に再び水芭蕉を見に出かけ、昼頃に神事を見るため戸隠中社に戻りました。
12:30からと聞いていましたが、まずは詩吟や踊りの奉納があり、13:20過ぎから神事が始まりました。
中院の柱松の上で、たなびく「天下泰平」。
あまりの強風で、「五穀豊穣」の旗は飛んでいってしまいましたが、無事に拾われていました。
鳥居前の広場で待つこと、1時間くらい。
社殿での祈願を終えた人たちが、行列になって広場にやってきました。
般若心経の奉唱や注連縄切りが行われたあと、白い衣に赤いたすきをかけた「松山伏」が神社への階段をかけあがります。(親切に解説付きです。)
3人の松山伏が霊山で修行をしている間、先輩たちが舞を披露します。
これは禊の舞だったかな。普段はやらないそうですが、この日はお釜とお湯が用意され、舞いながらぱしゃっと湯切りをします。
修行から戻ってきた松山伏が、火打石を使って柱松に火をつけます。
どこが早いか競い合うのだそうです。
3人が腰にうちわをさしていた訳が、ようやくわかりました。
火がつきました。
あっという間に炎があがりました。
風の強い日だったので、炎は大きく揺れ、火の粉や灰が飛んできました。
だいだいおさまったところで、修験者が般若心経を唱えながら、柱松のまわりをまわります。
お願い事を書いた祈願串のお焚き上げが行われました。
神事はまだ続いていましたが、ちょうどバスがきたので、途中で切り上げて長野駅に向かうことにしました。あとでお神酒をくばるって言ってたけど、いただかないで帰ってきてしまいました。
お焚き上げの炎のご利益がありますよう。
by とし@黒猫 (2015-05-20 09:46)
日本古来の伝統・・・いつまで残せ伝えてゆけるのかな~。
近頃、何となくそう思います。
by S北斗 (2015-05-22 21:31)
とし@黒猫さん、ありがとうございます。
すごい勢いの炎と煙でした。何かいいことあるかな。
by smik (2015-05-23 21:33)
S北斗さん、ありがとうございます。
この神事は一度途絶えたけど復活できました。もし伝え続けることができなくても、史料や伝承、想像力と持続する熱意があれば、なんとかできるのかもしれません。
by smik (2015-05-23 21:48)